2019年02月19日
にかちゃんの島らっきょう畑
久々の投稿です。
にかちゃん復活しました。
実は一昨年から農業を始めました。
農家の次男に生まれ
子供の頃から畑の手伝い三昧・・・( ^ω^)・・・
『農業なんかするもんかーーー』
と思っていましたが・・・・
何故かいたします。高校受験直前まで農業大学に進学したいと・・
思っていたのですが・・・・・
親に反対されて進路変更。。
あれから30有余年が経ち・・・・・
やっぱり忘れられない感情に突き動かされて・・畑人になりました
それで今
にかちゃんの島らっきょう畑
で採れた「島らっきょう」を売っています。
ということで
これから時々
島らっきょう畑の事を投稿しまーす。。
2018年10月04日
遠い思い出...,
遠い思い出...,
台風の
一夜の宿に
なげく民
小学5年の時に
詠んだ句
半農半漁の我が家は貧しく
両親は休むことなく働いていた
干ばつの島にとって
台風のもたらす雨は恵でもあり
しかし災いでもあった
漁師にとって嵐は
恵を拒む大敵でもあった
台風の前夜
窓辺に立つ父は空を見つめ
なにかを呟いていた
幼なごころに
そのつぶやきが
嘆きなんだろうと知っていた
あれから四十余年の月日が経ち
台風の一夜の宿に思いを馳せながら
蝋燭の火を見ている 続きを読む
台風の
一夜の宿に
なげく民
小学5年の時に
詠んだ句
半農半漁の我が家は貧しく
両親は休むことなく働いていた
干ばつの島にとって
台風のもたらす雨は恵でもあり
しかし災いでもあった
漁師にとって嵐は
恵を拒む大敵でもあった
台風の前夜
窓辺に立つ父は空を見つめ
なにかを呟いていた
幼なごころに
そのつぶやきが
嘆きなんだろうと知っていた
あれから四十余年の月日が経ち
台風の一夜の宿に思いを馳せながら
蝋燭の火を見ている 続きを読む
2017年06月17日
生き方を考える・・・
高校を卒業した私は千葉にある
福祉の専門学校に進学しました。
実家は貧しく進学にかかる学費や
生活費を捻出することは困難でした。
両親に負担をかけたくない思いから、
私は高校へ通いながらアルバイトをして貯金をしました。
せめて入学金だけでもと両親は借金をして、
千葉に送り出してくれました。
千葉に着くと直ぐに居酒屋で働きました。
賄い食があることと調理師になりたかったという、
もう1つの夢を叶えるためでした。
学費を貯めながらの生活は苦しく、
安アパートでの食事はキャベツをかじり、
正にかぐや姫の「赤ちょうちん」の世界でした。
給料日前のある日、姉に手紙を書きました。
2歳離れた姉も愛知で同じように就職進学をして
美容師になっていました。
「金が無くて、少しでいいから貸してくれ」
との私の便りに
姉は「ガンバレの文字と五千円札」の返事をくれました。
今日6月17日は姉の誕生日です。
(近所のサトウキビ畑・・最近は砂利道もなくなりつつありますね)
沖縄では梅雨を「しゅうまんぼうしゅう(小満芒種)」と呼びます。
二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつで、
「麦の穂が実り少し満ちてきた」という意味や
「陽気が良くなり万物が次第に成長し満ちる」
という意味があるそうです。
植木や盆栽が好きな私は
小満芒種(梅雨)の時期が大好きです。
鉢物を植替えたり挿し木などに適しています。
特に盆栽などは鉢の中で
根がグルグル回り鉢内密度が増します。
そうなると根は水分や養分を摂るどころか、
窒息状態となり木は弱ってしまうのです。
(ミニ盆栽・直径5㎝のガジュマルは推定樹齢17歳を過ぎています。)
木を鉢から抜き出し伸び放題の根をほぐし短く切り詰めます。
そしてキレイに洗った鉢には
空気や水の通りがしやすい粒々の土を
入れ替えて木を戻してあげるのです。
息を吹き返した木はひと月もしないうちに
新芽を出して「生き返ったよ」と喜んでくれるのです。
土は栄養の源です。
植物は土に含まれる養分を吸って成長します。
その中でも窒素、リン、カリウムは
三大栄養素と呼ばれています。
畑でも植木鉢でも、長く放置すると土は養分を失います。
ですから定期的に土をほぐし
養分を補給してあげると植物は良く育つのです。
(スミレは花壇に植えると肥大化します)
(土いじりを素手で行うと元気になるのは
土の養分を頂いているからだと
私は信じています)
一方で養分を失った土は
粒子が細かくなり固く締まっていきます。
水の通りも悪くなり植物は
いよいよ弱って行くのです。
そんな土を雑草と呼ばれる植物は好みます。
雑草は根強く簡単には
根を吐きませんし踏まれても頑張ります。
(我が家に咲く提灯ふっそうげはハイビスカスの仲間です。)
コンクリートを突き破って生えてくる奴だっています。
彼らはどんな境遇でも決して弱音を吐かず、
荒地の中でもじっと時期を待ってるのです。
小満芒種で一雨降ると
彼らは勢いよく芽を出してきます。
梅雨明けに夏草が茂るのはそのためです。
植物の観察が好きだった少年は、
ある日何気なく道端の雑草を抜き、
庭の片隅の小さな畑に植えてみました。
雑草は瞬く間に成長し
道端のそれとは違う植物かと
見間違えるほどの変貌を遂げました。
少年は雑草の生きる力強さと
育つ場所によって成長の仕方が
大きく違うことを学びました。
野菜は荒地では育たないのです。
(こぼれ種から発芽した菜葉・・我が家の庭の片隅)
漁師だった父は素潜りの名人でした。
1回の潜水で軽く3分は上がってきませんでした。
父は私に追い込み漁を教えてくれました。
潮を飲み死にそうになりながら
潜る父の背を追いかけていました。
時々振り返った父に何度も海面まで引き上げられました。
1度の漁は2〜3時間、身体はクタクタでした。
浜に上がって父は黙々と魚を捌いていました。
無口な父は自分の姿を見せることで私に
生きる術や人生の厳しさを教えていたのだと思います。
(インギャーの入り江は我が家を支えた食材の供給源でした)
ある夜少年は
ガラス戸にとまる蛾を狙うヤモリの腹を見ていました。
ヤモリの動きは素早く
蛾を瞬時に捉え呑み込んでいました。
少年は蛾とヤモリを生け捕りにしました。
チリ紙を広げ、それぞれを丁寧に包みました。
翌日2つの包みは牛乳瓶に入れられ、
布切れで頑丈に封をされ、
庭の片隅に埋められました。
数ヶ月後ヤモリはミイラとなり、
蛾は土に還っていました。
(ナナフシは子供たちのおもちゃでした)
大人になった宮古島の
少年は五十を手前に考えに耽っています。
これからどう歩き、
何処へ向かうのかを考えています。
すると少年は彼に教えるのです。
人は自然の営みの中でこそ生き、生かされている
人は草木や風の声を聴き
潮の香りや雨の匂いを感じ
生かされていることを
想いして歩くことで
その歩幅は違っていく
(石垣は風雨にさらされながら苔むしていく)
人はいろんな生き方を
選ぶことができます。
街でアクティブに生きたり
田舎でゆっくり暮らしたり
そんな人たちが
自分の人生について
語り合える空間を
作りたいと考えています。
(我が家のアセロラの実)
にかちゃんの好きな言の葉 あ・い・う・え・お
【雑草:ざっそう】
辞書では
「雑草(ざっそう)とは、人間の生活範囲に
人間の意図にかかわらず
自然に繁殖する植物のことである。」
「転じて、重視されないがたくましい存在、
悪く言えばしぶとい存在として、
比喩に用いられる。」
とあります。
道端の雑草でも植木鉢に移してやると
きれいな花を咲かせたりしますね。
最近宮古島では雑草を薬草として
活用しています。
さて次回は
私のビジョンについて語りたいと思います。
福祉の専門学校に進学しました。
実家は貧しく進学にかかる学費や
生活費を捻出することは困難でした。
両親に負担をかけたくない思いから、
私は高校へ通いながらアルバイトをして貯金をしました。
せめて入学金だけでもと両親は借金をして、
千葉に送り出してくれました。
千葉に着くと直ぐに居酒屋で働きました。
賄い食があることと調理師になりたかったという、
もう1つの夢を叶えるためでした。
学費を貯めながらの生活は苦しく、
安アパートでの食事はキャベツをかじり、
正にかぐや姫の「赤ちょうちん」の世界でした。
給料日前のある日、姉に手紙を書きました。
2歳離れた姉も愛知で同じように就職進学をして
美容師になっていました。
「金が無くて、少しでいいから貸してくれ」
との私の便りに
姉は「ガンバレの文字と五千円札」の返事をくれました。
今日6月17日は姉の誕生日です。
(近所のサトウキビ畑・・最近は砂利道もなくなりつつありますね)
沖縄では梅雨を「しゅうまんぼうしゅう(小満芒種)」と呼びます。
二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつで、
「麦の穂が実り少し満ちてきた」という意味や
「陽気が良くなり万物が次第に成長し満ちる」
という意味があるそうです。
植木や盆栽が好きな私は
小満芒種(梅雨)の時期が大好きです。
鉢物を植替えたり挿し木などに適しています。
特に盆栽などは鉢の中で
根がグルグル回り鉢内密度が増します。
そうなると根は水分や養分を摂るどころか、
窒息状態となり木は弱ってしまうのです。
(ミニ盆栽・直径5㎝のガジュマルは推定樹齢17歳を過ぎています。)
木を鉢から抜き出し伸び放題の根をほぐし短く切り詰めます。
そしてキレイに洗った鉢には
空気や水の通りがしやすい粒々の土を
入れ替えて木を戻してあげるのです。
息を吹き返した木はひと月もしないうちに
新芽を出して「生き返ったよ」と喜んでくれるのです。
土は栄養の源です。
植物は土に含まれる養分を吸って成長します。
その中でも窒素、リン、カリウムは
三大栄養素と呼ばれています。
畑でも植木鉢でも、長く放置すると土は養分を失います。
ですから定期的に土をほぐし
養分を補給してあげると植物は良く育つのです。
(スミレは花壇に植えると肥大化します)
(土いじりを素手で行うと元気になるのは
土の養分を頂いているからだと
私は信じています)
一方で養分を失った土は
粒子が細かくなり固く締まっていきます。
水の通りも悪くなり植物は
いよいよ弱って行くのです。
そんな土を雑草と呼ばれる植物は好みます。
雑草は根強く簡単には
根を吐きませんし踏まれても頑張ります。
(我が家に咲く提灯ふっそうげはハイビスカスの仲間です。)
コンクリートを突き破って生えてくる奴だっています。
彼らはどんな境遇でも決して弱音を吐かず、
荒地の中でもじっと時期を待ってるのです。
小満芒種で一雨降ると
彼らは勢いよく芽を出してきます。
梅雨明けに夏草が茂るのはそのためです。
植物の観察が好きだった少年は、
ある日何気なく道端の雑草を抜き、
庭の片隅の小さな畑に植えてみました。
雑草は瞬く間に成長し
道端のそれとは違う植物かと
見間違えるほどの変貌を遂げました。
少年は雑草の生きる力強さと
育つ場所によって成長の仕方が
大きく違うことを学びました。
野菜は荒地では育たないのです。
(こぼれ種から発芽した菜葉・・我が家の庭の片隅)
漁師だった父は素潜りの名人でした。
1回の潜水で軽く3分は上がってきませんでした。
父は私に追い込み漁を教えてくれました。
潮を飲み死にそうになりながら
潜る父の背を追いかけていました。
時々振り返った父に何度も海面まで引き上げられました。
1度の漁は2〜3時間、身体はクタクタでした。
浜に上がって父は黙々と魚を捌いていました。
無口な父は自分の姿を見せることで私に
生きる術や人生の厳しさを教えていたのだと思います。
(インギャーの入り江は我が家を支えた食材の供給源でした)
ある夜少年は
ガラス戸にとまる蛾を狙うヤモリの腹を見ていました。
ヤモリの動きは素早く
蛾を瞬時に捉え呑み込んでいました。
少年は蛾とヤモリを生け捕りにしました。
チリ紙を広げ、それぞれを丁寧に包みました。
翌日2つの包みは牛乳瓶に入れられ、
布切れで頑丈に封をされ、
庭の片隅に埋められました。
数ヶ月後ヤモリはミイラとなり、
蛾は土に還っていました。
(ナナフシは子供たちのおもちゃでした)
大人になった宮古島の
少年は五十を手前に考えに耽っています。
これからどう歩き、
何処へ向かうのかを考えています。
すると少年は彼に教えるのです。
人は自然の営みの中でこそ生き、生かされている
人は草木や風の声を聴き
潮の香りや雨の匂いを感じ
生かされていることを
想いして歩くことで
その歩幅は違っていく
(石垣は風雨にさらされながら苔むしていく)
人はいろんな生き方を
選ぶことができます。
街でアクティブに生きたり
田舎でゆっくり暮らしたり
そんな人たちが
自分の人生について
語り合える空間を
作りたいと考えています。
(我が家のアセロラの実)
にかちゃんの好きな言の葉 あ・い・う・え・お
【雑草:ざっそう】
辞書では
「雑草(ざっそう)とは、人間の生活範囲に
人間の意図にかかわらず
自然に繁殖する植物のことである。」
「転じて、重視されないがたくましい存在、
悪く言えばしぶとい存在として、
比喩に用いられる。」
とあります。
道端の雑草でも植木鉢に移してやると
きれいな花を咲かせたりしますね。
最近宮古島では雑草を薬草として
活用しています。
さて次回は
私のビジョンについて語りたいと思います。
2017年06月16日
花あかり
昨日は私の誕生日でした。
たくさんの方々から祝福していただきました。
改めて御礼申し上げます。
さて、今日は「花あかり」の誕生日です。
今日から私が目指している夢の実現のため
私の考えや会社のビジョンについて、少しずつ語っていこうと思います。
初回の今日は私の生い立ちや会社の設立などについてお話いたします。
私の考えに対する皆さんのご感想やご提案なども是非お寄せ下さい。
また一緒に歩いて頂ける仲間も募っています。
故郷・インギャー海岸(撮影:フォトライター安積美香さん2017.5.25)
少年時代
私は宮古島の海辺の小さな村で生まれ育ちました。
実家の眼前には小さな入り江、裏手には森があり
子供の頃は自然の中で遊びました。
集落の畑の畦道には
季節ごとに野蒜(のびる)やヨモギなどの野草が生え、
入り江の潮溜まりにはカニや小魚などが獲れました。
また野山に行けばグァバやグミの実が
甘い香りで誘ってくれていました。
半農半漁の両親から海の豊かさや恐ろしさ、
大地の恵みや困難さを
両親の仕事を手伝うという手段で教わりました。
祭事や祝事の日には隣家の人々が
入り江で豚や山羊の命を拝借し、
子どもたちは命の尊さや有難さを学びました。
インギャーの入り江の奥は僕らの楽園だった(撮影:宮古島市城辺友利2013.11.10)
私は物心ついた頃から草木を愛でる少年でした。
裏山から木の苗木を掘り起こして来ては
家の庭に植えて盆栽のまねごとをし、
ススキの穂を束ねて壁に立てかけて眺めたり、
蛾やヤモリを生け捕りにしてミイラを作る変な少年(変人)でした。
雨の日の日曜日の朝が大好きでした。
畑仕事が休みになるのです。
家の一番座のガラス戸を少し開け、
寝そべって空を眺めました。
落ちてくる雨粒が顔にかかり、
無数の小さな球体が
まつげで躍り跳ねていきました。
弟と顔がびしょびしょに濡れるまで
落ちてくる雨を見上げていました。
原体験が教えてくれたこと
宮古島は山も河川もない平坦な島です。
「大平山」と呼ばれていた時代もあったそうです。
確かに海から島を眺めると
「大きな平たい山」に見えます。
しかし、その地形が故に干ばつに苦しむ島でもあったのです。
干ばつの島、
宮古島の梅雨は空梅雨が多かったと
少年の記憶は教えてくれます。
(人々の雨乞いの感情は「クイチャー」という芸能につながりました。)
麦穂の向こう実芭蕉の葉が揺れていた(南城市大里の麦畑2017.4.22撮影)
父は窓辺で空を見上げ何かブツブツ唱えていました。
それは雨を乞いながら風(台風)を遠慮する
矛盾をはらんだ願いだったと記憶しています。
梅雨で降らない雨は台風でしかもたらされないのです。
近所の畑で水玉を受けて咲く小さな草花(南城市玉城2017.3.19撮影)
半農半漁の父の複雑な腹の内は
幼かった私にも感じ取れるほど
島の天候は暮らしに直結していました。
少年の日の数々の体験は私に
「人は自然の営みの中でこそ生き、生かされている」
ということを学ばせてくれたのだと、
今はそう感じています。
“花あかり“の命名について
まぶたを閉じて満開の桜をイメージしてみてください。
夜になり辺りが暗くなっていきますが
なぜだか桜の木のまわりはボワーッと浮かび上がり
まるで明りを灯しているかのように見えています
満開の桜はなんとも言えない、いい香りです
そしてそこには甘い香りに誘われて鳥や蝶
三々五々の人たちが気持ちよさそうに
桜の花を愛でているのです
私の営む会社には、そうした蝶や蜜蜂、
小鳥や人たちがやってきます。
彼らの目に映るのは「花あかり」、
そして彼らは歌うように夢を語り合うのです。
私は「花あかり」のような、
そんな空間を作りたいと願って
花あかり合資会社を設立しました。
にかちゃんの好きな言の葉 あ・い・う・え・お
【小満芒種:しゅうまんぼうしゅう】
沖縄では梅雨を「しゅうまんぼうしゅう(小満芒種)」と呼びます。
二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつで、
「麦の穂が実り少し満ちてきた」という意味や
「陽気が良くなり万物が次第に成長し満ちる」
という意味があるそうです。
1年の中でも一番好きな季節です。
さて次回は
「人は自然の営みの中でこそ生き、生かされている」
ことを教えてくれた少年の日の数々の体験が
今の私の生き方や夢に
どのように繋がってきているのかをお話しします。
たくさんの方々から祝福していただきました。
改めて御礼申し上げます。
さて、今日は「花あかり」の誕生日です。
今日から私が目指している夢の実現のため
私の考えや会社のビジョンについて、少しずつ語っていこうと思います。
初回の今日は私の生い立ちや会社の設立などについてお話いたします。
私の考えに対する皆さんのご感想やご提案なども是非お寄せ下さい。
また一緒に歩いて頂ける仲間も募っています。
故郷・インギャー海岸(撮影:フォトライター安積美香さん2017.5.25)
少年時代
私は宮古島の海辺の小さな村で生まれ育ちました。
実家の眼前には小さな入り江、裏手には森があり
子供の頃は自然の中で遊びました。
集落の畑の畦道には
季節ごとに野蒜(のびる)やヨモギなどの野草が生え、
入り江の潮溜まりにはカニや小魚などが獲れました。
また野山に行けばグァバやグミの実が
甘い香りで誘ってくれていました。
半農半漁の両親から海の豊かさや恐ろしさ、
大地の恵みや困難さを
両親の仕事を手伝うという手段で教わりました。
祭事や祝事の日には隣家の人々が
入り江で豚や山羊の命を拝借し、
子どもたちは命の尊さや有難さを学びました。
インギャーの入り江の奥は僕らの楽園だった(撮影:宮古島市城辺友利2013.11.10)
私は物心ついた頃から草木を愛でる少年でした。
裏山から木の苗木を掘り起こして来ては
家の庭に植えて盆栽のまねごとをし、
ススキの穂を束ねて壁に立てかけて眺めたり、
蛾やヤモリを生け捕りにしてミイラを作る変な少年(変人)でした。
雨の日の日曜日の朝が大好きでした。
畑仕事が休みになるのです。
家の一番座のガラス戸を少し開け、
寝そべって空を眺めました。
落ちてくる雨粒が顔にかかり、
無数の小さな球体が
まつげで躍り跳ねていきました。
弟と顔がびしょびしょに濡れるまで
落ちてくる雨を見上げていました。
原体験が教えてくれたこと
宮古島は山も河川もない平坦な島です。
「大平山」と呼ばれていた時代もあったそうです。
確かに海から島を眺めると
「大きな平たい山」に見えます。
しかし、その地形が故に干ばつに苦しむ島でもあったのです。
干ばつの島、
宮古島の梅雨は空梅雨が多かったと
少年の記憶は教えてくれます。
(人々の雨乞いの感情は「クイチャー」という芸能につながりました。)
麦穂の向こう実芭蕉の葉が揺れていた(南城市大里の麦畑2017.4.22撮影)
父は窓辺で空を見上げ何かブツブツ唱えていました。
それは雨を乞いながら風(台風)を遠慮する
矛盾をはらんだ願いだったと記憶しています。
梅雨で降らない雨は台風でしかもたらされないのです。
近所の畑で水玉を受けて咲く小さな草花(南城市玉城2017.3.19撮影)
半農半漁の父の複雑な腹の内は
幼かった私にも感じ取れるほど
島の天候は暮らしに直結していました。
少年の日の数々の体験は私に
「人は自然の営みの中でこそ生き、生かされている」
ということを学ばせてくれたのだと、
今はそう感じています。
“花あかり“の命名について
まぶたを閉じて満開の桜をイメージしてみてください。
夜になり辺りが暗くなっていきますが
なぜだか桜の木のまわりはボワーッと浮かび上がり
まるで明りを灯しているかのように見えています
満開の桜はなんとも言えない、いい香りです
そしてそこには甘い香りに誘われて鳥や蝶
三々五々の人たちが気持ちよさそうに
桜の花を愛でているのです
私の営む会社には、そうした蝶や蜜蜂、
小鳥や人たちがやってきます。
彼らの目に映るのは「花あかり」、
そして彼らは歌うように夢を語り合うのです。
私は「花あかり」のような、
そんな空間を作りたいと願って
花あかり合資会社を設立しました。
にかちゃんの好きな言の葉 あ・い・う・え・お
【小満芒種:しゅうまんぼうしゅう】
沖縄では梅雨を「しゅうまんぼうしゅう(小満芒種)」と呼びます。
二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつで、
「麦の穂が実り少し満ちてきた」という意味や
「陽気が良くなり万物が次第に成長し満ちる」
という意味があるそうです。
1年の中でも一番好きな季節です。
さて次回は
「人は自然の営みの中でこそ生き、生かされている」
ことを教えてくれた少年の日の数々の体験が
今の私の生き方や夢に
どのように繋がってきているのかをお話しします。
2017年03月28日
スーパーケアマネ・・・
今回のらいふさぽーと花あかりのゲストは・・・
大名居宅介護支援事業所
管理者 新城 和三 氏(以下敬称略)
まさにスーパーケアマネという人。
新城さんのお話しをうかがっていて、背筋がピンと伸びました・・・・。
新城は大学卒後コンピューター関係の企業に就職した。
その仕事の関係で老人施設に出入りするようになった。
そこで出逢った人々に刺激を受け、自分自身の家族の事や
人との関係性について考えるようになっていた。
意を決してそこの施設に就職。
一から介護について学んだ。
介護福祉士、社会福祉士の資格を取得し
介護保険制度のスタートに合わせ
介護支援専門員の資格も取得し
ケアマネージャーとなった。
10年ほど前に現在の職場に転職し現在に至る。
人生の設計図
「ケアマネとは最後の人生の設計図を描く人」
新城のケアマネ哲学だ。
その人が残された人生をどう生きたいのかを聴きながら
その人生が送れるように設計し支援する。
介護に携わる人たちが動きやすいようにプランニングし
実際に動いているのかを定期的に確認する。
沖縄県介護支援専門員協会の理事としても活躍している新城は、
行政との折衝にも長けている。
しっかりとした制度理解を踏まえての行政折衝は
行政担当もタジタジだ・・・。
行政とのやり取りなどを自身のSNSで
介護支援専門員に向けて情報発信を続けている。
https://www.facebook.com/kazumi.arashiro
こうしたことからケアマネ業界では講師としても引っ張りダコだ。
先日も沖縄県介護支援専門員協会南城市支部で
・・知らなかったでは済まされない・・
管理者とケアマネ「お仕事」
と題して講演した。
Off-JTおきなわ
新城は仕事の傍らで研修企画をする団体を主宰している。
介護支援専門員や介護職員、関係職種向けの研修だ。
県外から著名な達人たちを沖縄に招き研修会を開いている。
年間2~3回の研修を開いていきたいと語った。
にかちゃんの好きな言の葉・・あいうえお
「設計図」
新城さんの大切にしている言葉だ。
インタビューの中でこの言葉を聴かせていただいた。
「人の人生のラストステージ」に関わるケアマネの仕事の
大切さや重大性を再認識させてくれる言葉だ。
背筋がピンと伸びました。
大名居宅介護支援事業所
管理者 新城 和三 氏(以下敬称略)
まさにスーパーケアマネという人。
新城さんのお話しをうかがっていて、背筋がピンと伸びました・・・・。
新城は大学卒後コンピューター関係の企業に就職した。
その仕事の関係で老人施設に出入りするようになった。
そこで出逢った人々に刺激を受け、自分自身の家族の事や
人との関係性について考えるようになっていた。
意を決してそこの施設に就職。
一から介護について学んだ。
介護福祉士、社会福祉士の資格を取得し
介護保険制度のスタートに合わせ
介護支援専門員の資格も取得し
ケアマネージャーとなった。
10年ほど前に現在の職場に転職し現在に至る。
人生の設計図
「ケアマネとは最後の人生の設計図を描く人」
新城のケアマネ哲学だ。
その人が残された人生をどう生きたいのかを聴きながら
その人生が送れるように設計し支援する。
介護に携わる人たちが動きやすいようにプランニングし
実際に動いているのかを定期的に確認する。
沖縄県介護支援専門員協会の理事としても活躍している新城は、
行政との折衝にも長けている。
しっかりとした制度理解を踏まえての行政折衝は
行政担当もタジタジだ・・・。
行政とのやり取りなどを自身のSNSで
介護支援専門員に向けて情報発信を続けている。
https://www.facebook.com/kazumi.arashiro
こうしたことからケアマネ業界では講師としても引っ張りダコだ。
先日も沖縄県介護支援専門員協会南城市支部で
・・知らなかったでは済まされない・・
管理者とケアマネ「お仕事」
と題して講演した。
Off-JTおきなわ
新城は仕事の傍らで研修企画をする団体を主宰している。
介護支援専門員や介護職員、関係職種向けの研修だ。
県外から著名な達人たちを沖縄に招き研修会を開いている。
年間2~3回の研修を開いていきたいと語った。
にかちゃんの好きな言の葉・・あいうえお
「設計図」
新城さんの大切にしている言葉だ。
インタビューの中でこの言葉を聴かせていただいた。
「人の人生のラストステージ」に関わるケアマネの仕事の
大切さや重大性を再認識させてくれる言葉だ。
背筋がピンと伸びました。
2017年02月28日
ポルコバーム
今回のらいふさぽーと花あかりのゲストは・・・
株式会社 大豊アグリ
代表取締役社長 長崎 秀則 氏(以下敬称略)
まさに起業家という人。。
長崎さんのお話しをうかがっていて、とても元気になりました。
長崎は「甘熟島豚」というブランド豚の卸販売とラードを使った
化粧品の製造販売を手掛けている。
長崎は宮古島で生まれ浦添市で育った。
家畜用飼料を扱う会社を経営する父を見て育ち、
就職は本土系の産業廃棄物を扱う会社に勤めた。
40歳を過ぎ起業を決意した長崎は、
ある養豚農家の誘いで出荷時期を過ぎた豚を食べる宴席に参加した。
何気なく食べたその豚肉の味に衝撃が走った。
同時に20年以上も前の記憶が鮮明によみがえってきた。
20代の頃、ある養豚農家で食べた豚肉の味だった。
肉質がしっかりしていて味が濃くジューシーでいて、さっぱりしている。
長崎は養豚農家に豚肉について詳しく尋ねた。
「飼育期間が長いと脂身が甘く、おいしい肉質になる」
「これだ!!」
長崎は直感した。
直ぐに県内の養豚農家を駆けずり回り、
飼育期間の延長を打診した。しかし返事は全てNO。
通常の豚肉は生後6か月を目途に出荷されるため
豚の生産サイクルはこの6カ月を周期に 回転する。
通常6カ月を過ぎた豚肉は存在しない。
この生産サイクルから外れることは
養豚農家の死活問題にも直結する。
養豚農家を1年半も駆け回ったがほとんどの農家に門前払いされた。
諦めかけていた。
ふと20代の頃父親の飼料会社のお得意先の方の顔が浮かんだ。
思い切って電話をかけた。「覚えていらっしゃいますか?」との問いに
「もちろん」との返事。現状を相談すると、ある養豚農家を紹介してくれた。
長崎はこれが最後のチャンスだと腹を決めた。
その養豚農家に
「旨い豚肉を作ってほしい」
と飼育期間の延長を打診した。
直ぐには信用してもらえなかったが、
熱心に説得し「とりあえず一頭だけ」との返事を引き出した。
数か月後、養豚農家から試行一頭目ができたと連絡を受けた。
長崎と一緒に試食した養豚農家は
「豚肉がこんなに旨いのか」
と目を丸くした。
(写真元:START-UP URASOEより)
http://startup.city.urasoe.lg.jp/startup-contents/2016072100034/
「甘熟島豚」
長崎はブランド豚として売り出した。
それからは徐々に販路も広がり、
今では飲食店や精肉業者を中心に、
毎月100頭以上を販売できるまでになった。
それからしばらくして、ある肉のイベント会場で衝撃的な出会いをする。
2013年に「徳洲会病院 こくらクリニック」の渡辺信幸院長との出会いだ。
渡辺医師は「MEC食(肉:Meet・卵:Egg・チーズ:Chesse)」を中心とした
食事で体質改善を図ることを提唱。
豚肉(タンパク質)を食べることで健康になれるというものだ。
渡辺医師との会話の中で、豚のラードを床ずれなどの
皮膚疾患の改善に利用していることを知った。
しかし、食用ラードには独特の臭いや
「豚の油」がもつイメージが女性には敬遠されがちだという事を聞いた。
農業を始めとする沖縄の一次産業の発展にもっと貢献できないか
と考えていた長崎はラードを原料とした製品開発に着手する。
たやすいと考えていた主原料であるラードの仕入れは困難を極めた。
ラードを取り扱う企業が皆無に等しかった。
なんとか知人を介してラードを確保したが、
商品開発を引き受ける業者は沖縄県内にはなかった。
しかし人脈が助けた。開発を本土企業に依頼し、
製品が形になるまでに2年の月日がかかった。
自社ブランドの
「ポルコバーム」シリーズ
https://www.facebook.com/porcoskin/
が店頭に並んだ。
「先へ」
長崎は半生をふりかえりつつ語った
まずは行動することが大事だ
失敗を恐れていても何も変わらない
人脈は使え
人に頼ることに臆するな
やるにはどうしたらいいのか
それだけを考える
先へ進むことで道が開ける
株式会社 大豊アグリ
自社ブランド「甘熟島豚」、ラード化粧品「ポルコバーム」」製造販売
沖縄県浦添市安波茶2-5-7-201 098-917-0299
にかちゃんの言の葉・・あいうえお
「先へ」
長崎さんの大切にしている言葉だ。
僕自身が少し迷っていた時にこの言葉を聴かせていただいた。
「人生は一度しかなく
失敗を恐れて先に進まないでいると
いざ進もうと思った時には
進むことすらできなくなっているんだよ」
と言われている気がした。
株式会社 大豊アグリ
代表取締役社長 長崎 秀則 氏(以下敬称略)
まさに起業家という人。。
長崎さんのお話しをうかがっていて、とても元気になりました。
長崎は「甘熟島豚」というブランド豚の卸販売とラードを使った
化粧品の製造販売を手掛けている。
長崎は宮古島で生まれ浦添市で育った。
家畜用飼料を扱う会社を経営する父を見て育ち、
就職は本土系の産業廃棄物を扱う会社に勤めた。
40歳を過ぎ起業を決意した長崎は、
ある養豚農家の誘いで出荷時期を過ぎた豚を食べる宴席に参加した。
何気なく食べたその豚肉の味に衝撃が走った。
同時に20年以上も前の記憶が鮮明によみがえってきた。
20代の頃、ある養豚農家で食べた豚肉の味だった。
肉質がしっかりしていて味が濃くジューシーでいて、さっぱりしている。
長崎は養豚農家に豚肉について詳しく尋ねた。
「飼育期間が長いと脂身が甘く、おいしい肉質になる」
「これだ!!」
長崎は直感した。
直ぐに県内の養豚農家を駆けずり回り、
飼育期間の延長を打診した。しかし返事は全てNO。
通常の豚肉は生後6か月を目途に出荷されるため
豚の生産サイクルはこの6カ月を周期に 回転する。
通常6カ月を過ぎた豚肉は存在しない。
この生産サイクルから外れることは
養豚農家の死活問題にも直結する。
養豚農家を1年半も駆け回ったがほとんどの農家に門前払いされた。
諦めかけていた。
ふと20代の頃父親の飼料会社のお得意先の方の顔が浮かんだ。
思い切って電話をかけた。「覚えていらっしゃいますか?」との問いに
「もちろん」との返事。現状を相談すると、ある養豚農家を紹介してくれた。
長崎はこれが最後のチャンスだと腹を決めた。
その養豚農家に
「旨い豚肉を作ってほしい」
と飼育期間の延長を打診した。
直ぐには信用してもらえなかったが、
熱心に説得し「とりあえず一頭だけ」との返事を引き出した。
数か月後、養豚農家から試行一頭目ができたと連絡を受けた。
長崎と一緒に試食した養豚農家は
「豚肉がこんなに旨いのか」
と目を丸くした。
(写真元:START-UP URASOEより)
http://startup.city.urasoe.lg.jp/startup-contents/2016072100034/
「甘熟島豚」
長崎はブランド豚として売り出した。
それからは徐々に販路も広がり、
今では飲食店や精肉業者を中心に、
毎月100頭以上を販売できるまでになった。
それからしばらくして、ある肉のイベント会場で衝撃的な出会いをする。
2013年に「徳洲会病院 こくらクリニック」の渡辺信幸院長との出会いだ。
渡辺医師は「MEC食(肉:Meet・卵:Egg・チーズ:Chesse)」を中心とした
食事で体質改善を図ることを提唱。
豚肉(タンパク質)を食べることで健康になれるというものだ。
渡辺医師との会話の中で、豚のラードを床ずれなどの
皮膚疾患の改善に利用していることを知った。
しかし、食用ラードには独特の臭いや
「豚の油」がもつイメージが女性には敬遠されがちだという事を聞いた。
農業を始めとする沖縄の一次産業の発展にもっと貢献できないか
と考えていた長崎はラードを原料とした製品開発に着手する。
たやすいと考えていた主原料であるラードの仕入れは困難を極めた。
ラードを取り扱う企業が皆無に等しかった。
なんとか知人を介してラードを確保したが、
商品開発を引き受ける業者は沖縄県内にはなかった。
しかし人脈が助けた。開発を本土企業に依頼し、
製品が形になるまでに2年の月日がかかった。
自社ブランドの
「ポルコバーム」シリーズ
https://www.facebook.com/porcoskin/
が店頭に並んだ。
「先へ」
長崎は半生をふりかえりつつ語った
まずは行動することが大事だ
失敗を恐れていても何も変わらない
人脈は使え
人に頼ることに臆するな
やるにはどうしたらいいのか
それだけを考える
先へ進むことで道が開ける
株式会社 大豊アグリ
自社ブランド「甘熟島豚」、ラード化粧品「ポルコバーム」」製造販売
沖縄県浦添市安波茶2-5-7-201 098-917-0299
にかちゃんの言の葉・・あいうえお
「先へ」
長崎さんの大切にしている言葉だ。
僕自身が少し迷っていた時にこの言葉を聴かせていただいた。
「人生は一度しかなく
失敗を恐れて先に進まないでいると
いざ進もうと思った時には
進むことすらできなくなっているんだよ」
と言われている気がした。
2017年02月14日
父の思い出・・・
一月に父の一周忌をすませました。
寡黙で真面目だった父・・
半農半漁だった我が家は
けっして裕福ではなかった。
父は毎朝のように海へ行き
仕掛けておいた網にかかった魚を獲ってきた
朝の食事には新鮮な近海魚が並んでいた
私が幼いころ父は
本土に出稼ぎに行っていた
物心ついた頃に帰ってきた父は色が白くあか抜けていて
なんだか照れくさくて
母の背に隠れて
おいでと呼ぶ父の懐に飛び込むことができなかった
馬車の手綱を引く父の横で畑に向かった
轍(わだち)のついた砂利道を馬車はゆっくり進んだ
馬の蹄の音が心地よくて居眠りをしていた
はじめて馬の背に乗せてくれた日の事を忘れていない
家の近所を馬の背に乗って
手綱を引く父は馬の横に並んで歩いていた
時化の日に父は
網の手入れをしていた
破れた網を直す手際はまるで手品のように見えた
父を思い出すと
ふと側にいるような気がする・・・
2017年02月13日
さくらが咲いた・・・
デイサービスに通い始めて一か月のT氏宅の桜の花が咲き始めました。
認知症で意思疎通が十分とれないものとばかり思っていました。
ところが最近は送迎時の車の中で車窓から見える街並みや細い小路などについて・・
「あの角に銭湯があって・・よく通ったものだ」
「あの建物の奥に友達がいたが、最近死んだよ。寂しくなったな。」
先入観とは
実に恐ろしいものだ。
認知症だと思い込んでいた。
T氏は関わり始めた頃とは全く違う。
ただ単に
信用されていなかった・・
だけだった。
高齢者介護の仕事に就いてもうすぐ30年になろうとしている。
まだまだだなぁ~と反省した。
「もうすぐ満開になる。」
T氏は誇らしげに桜の木を見上げていた。。
久しぶりの投稿です。
これからまた書き始めます。
よろしければコメントをお願いします。
2015年02月15日
沖縄県被害者支援ゆいセンター
少年時代いろんな問題を起こし周囲の人に迷惑ばかりかけていた
いじめもした
いじめられることも経験した
ボクシングと出会い行き場のない思いを拳に込めていた
現役を退いても後進の指導に打ち込んでいた日々
しかし思いもかけず大病を患った
病院のベッドで先への不安と絶望感に打ちひしがれた
自分はもうだめだと思っていた
ところが友人や知り合いが見舞いに来てくれた
衝撃だった
再び生きていく希望が見えた気がしていた
この感謝の想いをどうすれば返せるだろうかと考えるようになっていた
そんな時たまたま支援センターの職員募集の広告を目にした
これだと思った
それからは事がとんとん拍子に進んでいった
人から受けた恩を返すための活動ができることに感謝していた
少年時代の経験を活かせる仕事に出逢えたことを幸せだと感じている
1月27日のらいふさぽーと花あかりのゲストは、沖縄県被害者支援ゆいセンターのファンドレイザー・砂川幸喜さんをゲストにお迎えしました。
県内の犯罪被害者の多くが性犯罪やDVという
更に身内による事件が多いという現実にとても胸が痛みました。
2015年01月24日
さくら
一心に咲く姿は
やさしくふりそそぐよう
この花に集いしものたちは
ずっと待っていたよと
ささやきかける
立ち止まり見上げるものたちは
ずっと咲いていたいよと
想いをかさねる
・・・・・・
庭のさくらが咲きました
毎年咲いてくれるさくらに
いつも力をもらいます
まるで魔法を持っているように
やさしく咲いています